「父上お話があります」 アスランは静かに父親―パトリック・ザラ―の前に進み出た。 彼は一代で世界に名を轟かすほどに上り詰めたイタリアのホテル王だ。 その風格をもったパトリック・ザラはめったに話すことも無い息子をじっと見た後、無言で先を促した。 それがどんなことになるかその時彼はまだ知らない。 パスティッチェーリア 「今日で最後か〜!」 キラは感慨深げに仕事場を眺める。 秤、ボウル、バット、ヘラ、さまさまな形の型や絞り口。 それらの場所がみなくても分かる位置にある。 始めは右も左も分からなかったが今では自分のホームグラウンドだ。 日本からパスティッチェーリア(菓子職人)としてイタリアに修行しに来て早三年。 はじめは一年といっていたものが、足がかりとしたコンテストで入賞を果たしそのままイタリア、ザラグループの五つ星ホテルのソットパスティッチェーリア(副菓子職人)としての登用が決まりあっという間に時が過ぎてしまった。 それに不満は無いが自分が働きたいのは尊敬しているシェフ―バルドフェルド―がいるトラットリアエトワールだった。 何度もやめようとおもったこともあったが気持ちは常にそこにあったから、キラはやってこれたのだとおもう。 三年かかってやっと自信をつけて帰れる。 シェフの料理の締めくくりという重責にも応えられる。 ホテルの代表として出たイタリアで最高峰といわれるコンテストで優勝。 それに伴い正式なパスティッチェーリアとしての採用その後ホテルでの活躍。 これほどの経験を得てキラは今日を最後に日本に戻る。 寂しくないといえばうそになるがそれよりも日本で自分の腕を発揮したいという思いが強かった。 「ほんと色々あったけど。」 キラはイタリアであった最高に最悪なことを思い出して思わず顔をしかめた。 「いやいや今日で最後なんだから思い残すことなくしなくちゃ」 ぶんぶんと頭を振る。 そうして深呼吸を一つ。 背伸びを一回。 服を調えて 「アッローラ、ラガッツィ、コミンチャーモ、アッラボラーレ!(さぁ仕事を始めるぞ)」 仕事場に入っていった。 仕事に手を抜くことな向かうキラには帰国後に待ち受ける運命に逆らう術は無かった。 一週間後、都内イタリアレストラン、エトワール… 「みんな知ってるとは思うがパスティッチェーリア修行でイタリアに行っていたキラが帰ってきた。」 バルドフェルドは一段上に立っていてすぐ下にいるキラを隣に呼んだ。 「イタリアから帰ってきましたキラ・ヤマトです。またお世話になります。」 「知らないやつはキラの可愛い顔に騙されないように」 「バルドフェルドさん!!」 からかうように揶揄するバルドフェルドにキラは突っ込む。 黙っているとどこまでもからかう。 それがこのレストランのいい雰囲気を作っているのではあるが…。 「わかったわかった。ラクス、今日の予定は?」 「嫌ですわオーナー。ディレットーレ(支配人)と呼んでいただかなくてわ」 「それは失礼ディレットーレお願いします。」 ラクスはお決まりのやり取りをしながら段を上る。 「今日の予約を読み上げます。」 それと同時にスタッフはメモを取り出す。 ラクスが読み上げる組数や人数、注意点を書き留めていく。 いつもの風景だ。 その雰囲気にキラは帰ってきたのだと感じた。 「以上です。ディアッカは後から新人さんを連れてきてくださいな」 「シィ(はい)」 それではと一歩前に出たバルドフェルドは大声で号令をかける。 「アッローラ、ラガッツィ、コミンチャーモ、アッラボラーレ!(さぁ仕事を始めるぞ!)」 「シィ・バ・ベーネ!!(はいわかりました!)」 皆の声がそろってレストラン内に響き渡る。 前に位置しているキラは後ろからの熱気のような気合の入った声に姿勢を正す。 さぁこれから戦場だ!! 「キラ。」 それぞれが持ち場に向かうなかラクスはキラに声をかけた。 キラも厨房に向かおうとしていたが呼び止めたのがラクスだと分かり立ち止まる。 「ラク…。ディレットーレ。久しぶりだね。」 「えぇ今日は終わりましたら一緒に飲みましょう。」 プライベートと仕事を完全に分けラクスには珍しいと思ったが自分との再会を祝ってくれると思い「うん!」と満面の笑みで答えた。 「それは置いておいて、新人を紹介しようと思いましたの。」 「新人?ホールでしょう?僕には関係ないんじゃ…。」 「久しぶりだなキラ。」 後ろから声を掛けられたキラはビクリとなる。 まさかまさかまさかまさかまさかまさか・・・ ここ三年半ば無理やり聞き覚えさせられた声がしてキラは恐ろしげに後ろを振り返る。 振り返った先にはトラットリアエトワールのホールの制服を見事に着こなした少年が立っていた。 濃い藍色の髪。 西洋人風の顔、その中でも目を引く翡翠の瞳。 「アスラン・ザラ!!!」 イタリアのコンテストの後、すぐにホテル王パトリック・ザラから連絡がありその一週間後にはグループの10番目のホテル・アッファティキのソットパスティッチェーリアになっていた。 彼はキラの何が気に入ったのかやたら気安く接してきて、さらにはどこぞの見合いなんじゃないかと思うような勢いで息子アスラン・ザラを紹介された。 聞けばキラが働くホテルは彼の生誕に作られたらしくオーナーもアスランであるという。 ありえないお金持ち価値観に眩暈を覚えたがそこは生来の猫かぶりで何とかしのいだ。 仕事のほうは5つ星レストランだけあってレベルは桁違いだったがそれ以上にやりがいを感じるものだっが、勉強もせずに毎日のようにホテルのレストランにくるアスランにはさすがに参った。 それでも彼が来ると弟が出来たような気がして楽しかったからなんだかんだといつも一緒にいた。 プライベートでもあっていたしアスランの年齢よりもというか自分よりも大人のような雰囲気もあって本当に親友のような付き合いをしていた。 修行期間一年が三年にのび、さすがに帰国するのだと彼に伝えると大げさなまでに目を瞠り俯きしばらくうなっていた。 親友の帰国を寂しがってる物だと思いキラは慰めのことばをかけようとしたが、 突然 「Io l'amo(愛してる)」 なんていうものだからついつい…。 「だまれこのガキ!」 なんて汚い日本語を返してしまった。 何が悲しくて同性に告白されなくてはならないのか。 それも年下。 しかも親友。 そのまま逃げるように帰り、それから会っていなかった。 いつものようにアスランがホテルに来ることは無く、そのまま帰国したのだ。 アスランが日本語を分からなくてよかったと帰国途中に思い返したりもした。 それがなぜここにいいるのだ。 「キラ?大丈夫か?」 叫んだ後黙り込んだキラにアスランは訝しげに声をかけた。 「きみ…学校は?」 「そんなの去年16歳のときに大学を卒業した。知ってるだろ?」 もちろん知っている。 その盛大なお祝いになぜか自分も混じっていたからだ。 「でもザラ氏についてホテル中心の経営学やってたじゃないか。」 「今もそれの一環だ。」 それだけのために留学とはさすがとしか言いようが無い。 「日本の意味はあるわけ?」 「新しいホテルを日本にという計画があって、それが俺の作るホテルの最初になる。」 そのための勉強だとあっさりとアスランは言う。 たった17歳のガキに今までヨーロッパ中心に展開してきたホテル業のアジア圏進出を任せるとは…。 ほんと親ばかだあの人。 キラは心のうちで悪態をつく。 いかつい顔の癖にやたら子煩悩なパトリック・ザラの顔が思い浮かぶ。 そしてふと気がついた。 ちょっとまて、僕は今彼と何語で話してる? 「きみ・・・日本語できたっけ?」 「キラと会ったときから始めた。日常会話に支障は無い。」 「つまり…?」 「キラのつぶやき、最後に投げつけられた言葉まで理解しているということだ。」 「っ!!」 思わず息をのむ。 言った言葉に後悔は無いが、言葉が分からないということを分かって言ったのだから罪悪感が多少なりとある。 「僕は謝らないからね。あんな冗談。最悪にもほどがある。」 「冗談!?」 「冗談じゃないならなお最悪だ!!」 この世の終わりのようにキラは叫ぶ。 はっきりいって女の子のように可愛いと思われる自分の容姿が男に好まれるのは―心外だが―知っていた。 だからといってそれを許容できるわけではない。 「…キラが俺の気持ちを受け取れないのはいいが、否定するのはやめてくれ。」 「どうせどうもならないんだから否定ぐらいがちょうどいいよ。」 キラはばっさりと切り捨てる。 思いのかけらも残さないほうがいいに決まってる。 というか残さないでくれというのが本音だ。 吐き捨てるように言う。 「同性じゃ愛情なんで生まれない。さっさとイタリアに帰りなよ。」 「あら、愛情に性別なんて関係ありませんわ。」 そこに二人を見ていたラクスが口を挟む。 「でも、そんな哲学は今はおやめになって。仕事がまってますのよ。」 にっこりと笑ってはいるが後ろになにやら見える。 そういえば彼を呼んだのはラクスだったとキラは思い出した。 忘れるくらい二人の世界だったってこと!? ほんと最悪!! キラはきつく手を握る。 「ごめんラク・・・」 「ディレットーレ。」 咎めるようにラクスが言うと、キラは素直に「申し訳ありませんでした。ディレットーレ。」と謝る。 そのままアスランのほうは見ずに厨房の方に向かっていった。 それでもアスランの視線を感じて少し痛い。 後ろではラクスが「ほらアスランあなたも。」とせかしている。 早く仕事に着きなよ。とキラは思ったが視線が逸らされる気配はなかった。 「絶対落とすまで帰らないからな。」 厨房に向かうキラに向かってアスランは低い声で言う。 本気なのはわかったが、だからといってどうこうあるわけじゃない。 「迷惑だ。そんな中途半端な気持ちで仕事をされると。そういうのが一番ムカつく。」 アスランのほうを向いてキラはきつく言い放つと厨房に駆け足で向かう。 今度こそ頭は仕事のことだけを考えていた。 アスランはもう自分のことなど頭にないのだろう背中を眺める。 イタリアで見慣れた背中だった。 それをなんど振り向かせたいと思ったことか。 キラは自分の見のうちに巣食う恋情をきっとかけらも理解してないのだ。 あまりにも純粋に前しか見ていないキラにアスランの思いはきっと告白の分も伝わっていないだろう。 情けないやら悔しいやらアスランは厨房に入ってもう見えないキラをまだ追っていた。 そこにラクスがボソリとつぶやく。 「仕事一筋のキラはなかなか落とせませんわよ?」 「望むところだ。」 失礼しますとアスランも仕事に向かう。 「楽しいことになりそうだこと。」 ラクスは今後に思いを馳せ微笑みながら受付に向かった。 マツジュン主演ばんび〜の!のパロでした。 めちゃくちゃ早く書き上げた記憶があります。 たのしかったんだ、バンビが。 改稿で付け足したようで辻妻を合わせた感がありますが。 このレストラン、恋のホワイトデーの店。 イタリア語はかなりの確率で間違ってます。 2007/9/27 sssより移動、改稿、加筆 |