無いものねだりのこの世の中で





神殿か、アスランか。

キラは一つ大きく息をつく。
目頭が熱くなるのを何とこらえようと空を見上げた。
朱色と橙色が混じった空。

ちょっと遅くなったなぁ…。
いくら午後から何も無いといってもこんなに遅くまで外に居れば何か詮索されるかも知れない。

まぁ寝てたってことでいいか。

そんなことよりもキラは考えなくてはならない。
どちらを選ぶか…。
足元を見ながらとぼとぼと歩く。
神殿かアスランか、即ち現実か夢かの二択のような物だ。
アスランとはもちろん一緒にいたい。
でもそれが現実問題できるかどうか、キラは出来ないと思っているからアスランを選ぶことは出来なかった。

神殿の追っ手それから逃れて―きっと逃げ続ける生活になるであろう―続けていけるとは思えない。
そうまでしてアスランと一緒に居たくないというわけではなく、自由なアスランを自分に縛り付けたくないのだ。
アスランはキラが居ればいいと簡単に、とても簡単に言うと想像できるがキラ自身が嫌だった。

僕のエゴなのは分かってる。

それでも縛り付けることがいやなのだ。


「今日は特に遅かったですわねキラ。」
「ラクスさまっ…!」

キラは驚いて顔を上げる。
ぼーっと考えながら歩いていたらいつの間にか神殿についていたようだ。
ラクスが落ちかけた日の中で佇んでいた。
夕闇の中でも彼女の神聖は一つも損なわれていなくて、むしろもっとはかなく見える。
微笑みはいつもの微笑みだ。

ラクスはいつも変らない。

「今日も桜を見に?」
「は、はい。もう葉桜なんですけど…。」
「ではそろそろ終わりですわね。」

ラクスが桜の方向を目を細めて見る。

「え?あ、はいそろそろ桜も終わりですね。」
「それもありますけど、キラは行くのはお止めになるのでしょう?」

桜の方向を向いていた顔をキラの方に向けて微笑む。
「キラ。」
ラクスは名前を呼び、その微笑を一瞬かくして水色の瞳で見つめた。

「桜に会いに行くことは無いのでしょう?」

「…え?」
すべて見透かしているようなラクスの瞳に言葉にキラは戸惑う。
しかしそんな戸惑いも承知のようにラクスはすぐに微笑を戻す。
神殿のほうを振り返っていつものように話を始めた。

「もうこんな時間ですね。早く食堂に行かなくてはキラ、間に合いませんわよ?」
「え、あ、ハイ。」
「今日はキラの好きなものだといいですわね。」
「はい…。」

ラクスのその言葉押されるようにキラは歩き出す。

「あ、あの!!ラクス様」

キラは振り向いて反対方向に歩いていったラクスに呼びかけた。
ラクスは豊かな髪を揺らしながらゆっくりと振り向く。
「なんでしょうかキラ。」

ラクス様にはばれているかも知れない。
さっきの「会いに行く」がキラの中で引っかかった。
でも、ばれているかも知れないから聞けることもある。
なにより相談できる人というとキラの中ではラクスしかいなかった。
キラはごくりと息を呑むと意を決して尋ねる。

「きょ、今日のご飯、好きなものが二つあったらどうしましょう。」

神殿の食堂は常にあるものと日替わりで二色の定食があった。
しょ、食事は変だったかな…?
微妙な沈黙が流れる。
すこし気まずくなってキラはラクスを窺う。
ラクスは軽く目を瞠って顎に手を当てて考えるポーズをとっていた。

さらに少しの沈黙。

「そうですわね・・・。」

歌うようなと称される声が唇から吐息が漏れるようにつぶやかれた。

「ラクス様だったらどうなさいますか?」
キラは繰り返し尋ねる。
真剣なまなざしでラクスを見つめた。
ラクスはそれを受け止めて返す。

「キラ、どちらを選んでも後悔しますわ。」

ラクスの透き通った声がキラの中で響く。
「どちらも好きなのでしょう?でしたらきっとどちらもなににかしら後悔すると思いますわ。でも・・・・。」
「でも?」
「同じように後悔するならどちらがいいか、選べますでしょう?」
「後悔するなら…?」

「どちらも後悔が付いてくるのならば付いてきてもいいほうを選ぶといいのですわ。もしくはどちらが後悔が大きいか考えれば少し悩めば選べるとおもいますわ。」
「付いてきてもいい方…。」

どちらが後悔が大きいか…。

三年間居心地の良かった神殿を出るなんて考えられない。
アスランと逃げてもつかまるかもしれない。
逃げ続ける生活に二人の間がうまくいかないかもしれない。
そう考えるとアスランとは逃げられない。
でも…。

もう二度とアスランと会えない。

そう考えるだけで、もう立っていることすらも難しい。
そんな錯覚に襲われる。
アスランと会いたいという思いだけでに神殿での生活をすごしてきたのにそれすらも出来なくなる。

なんだ。
なんだ…。

少し考えただけで答えはキラの中にストンと落ちてきた。

僕はもう選んでいたのに、逃げる生活を考えてしり込みしてただけなんだ。
ただ自分の保身のためにアスランの手を取れなかったんだ・・。

アスランは僕を選んでくれたのに僕は…。


「それに同じぐらいすきな物が出てくることなんて稀だと思いますけど。」
「え?」

考え込んでいたキラはラクスの声で現実に戻る。
キラの先にはからかうような微笑を向けるラクスがいた。

「行ってもないのにそんなに真剣に悩んでるとどちらも嫌いな物かもしれませんわよ?」
クスクスとラクスは笑う。
「…そ、そうですね。」

あぁ、そういえば食事の話だったんだ。

キラは少し顔を赤らめる。
それをみてラクスは少し声を大きくして笑った。

「すみません、変なことを聞いてしまって…。」
「いいえ、かまいませんわ。それでは、キラ…何があっても好きなものを選ぶといいですよ。」
そういって振り向いたときと同じように髪をなびかせてラクスは奥に戻っていった。





完全に外は真っ暗だ。
キラは何とかなれた目で進んでいく。
昼とは違う森の風景におびえながら進んでいく。その先に待っている人に会うために。
風が吹く。
昼と同じなのに夜だと恐ろしく聞こえるから不思議だ。

大丈夫、大丈夫。

キラは言い聞かせて進む。

大丈夫…。だいじょ

「キラ。」
「うわあぁぁっぁ!!」

いきなり背後から声を掛けられてキラは思い切り叫んだ。
鳥の羽ばたきがさらにキラを混乱させた。

「キラ!」
「え、あ、…アスラン?」

うずくまったキラを後ろから抱き締めるとアスランが名前を呼んだ。
呼んだのがアスランだと分かるとキラはほっとため息をつく。
アスランのぬくもりに徐々に混乱が治まってきた。

「大丈夫か?」
「うん、もう平気。」

キラがゆっくり立とうとするとアスランはそれを支えるように腕を取った。

「来てくれてよかった。」

とったキラの腕を自分のほうに引っ張ってアスランは抱き締めた。

「キラは神殿が大事みたいだったから。」
ちょっとした賭けだったんだ。
だからよかったとアスランは繰り返した。

「うん、でも答えは出てたから…。」
「・・・そっか。」
「うん。」

無言のまま抱き締めあう。
その空気が心地よくてキラは目を瞑った。

キラがぬくもりを享受しているとアスランが真剣な声で言ってきた。
「もう戻れないかもしれないけど。」
キラはその言葉に微笑む。

戻るなんて無いんだ。
君となら逃げる生活だって苦痛じゃないんだ。

むしろ僕のエゴにつき合わせてごめんねときは心の中で謝る
「分かってて来たんだよ。」
アスランを選んだのだときっぱりという。
「つれてって。」
照れながら言うとアスランは満面の笑みを浮かべさらに抱き締めてきた。
それが嬉しくてキラも抱き返す。

「キラ。」

優しく呼ばれてキラはアスランの胸へと埋めていた顔を上げる。
声音のままの微笑を向けられてキラは顔が赤くなるのを止められない。
アスランはそんな赤くなった頬をやさしくなでると途端口を塞ぐ。

うっわ〜!!

「んっ!!アス・・ラァ」

いきなりのことにキラは恥ずかしくて固まるがアスランの手が腰と後頭部に回りさらに深くなる。

え、ちょ・・・まって・・。

そのままキラの意識はブラックアウトした。